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オーストリア横断 ブレゲンツ音楽祭ツアー
毎年、六月末で大部分の劇場シーズンが終わると、ヨーロッパ各地で様々な音楽祭が始まる。
8月3日から、ブレゲンツ音楽祭 Bregenzer Festspiele「アンドレ・シェニェ Andre Chenier」に、バスで四泊五日ツアーで出掛けてみた。
ウィーン Wien 〜ブレゲンツ Bregenz。
オーストリアの端と端だ。
陸路は、遠い。
車でA1を650キロ走るか、汽車の旅七時間 (最速は六時間)。
今回は、近辺観光も兼ねて、時間を余分に取ってみた。
ウィーンを朝七時に出発。
大型バスに、ツアー21名にツアーガイドなので、車内はゆったり。
荷物はトランクルームに放り込んでしまい、一列二席を独占出来るのは、すでに良い前兆。
参加者は、夫婦、友人同士参加もほぼ年金世代。
私が最年少、アジア人と言う事もあって、こわごわ遠巻きな気配。
ウィーンの、観光客慣れていない人達は、かなりシャイだ。
オーストリア、さらに旧東欧圏の田舎に行くと、その傾向は加速する。
寿司レストランや、中華料理屋が出現していない場所では、「人間じゃ、ないかもしれない」「喋った!」「動いてる!」な視線を浴びる。
たぶん日本の旅行案内には出ていないだろうスロバキアの町で、ショッピングセンターに入ったら、隣のコーナーまで、店員が逃亡した。
買いたいジャケットと財布を掲げて見せながら、犠牲となった責任者が近づくのを待つ、と言う楽しい体験もあった。
閑話休題。
さて、ブレゲンツも四泊あるので、全く孤立も悲しい。
なけなしのドイツ語で会話を試みた瞬間、バスの雰囲気が激変。
ヘレン・ケラー三重苦の克服も、こんな感じだろうか。
間違いようもないアジアの風貌から、誰も正しいドイツ語を期待していない。
要は、気持ちの持ちよう。
ウィーンから、三時間に一度は高速道路上のドライブインで休憩。
ドライブインと言っても、普通のレストランに子供の遊び場、さらにホテルが隣接していたり、スーパーマーケットが併設しているので、全く不自由がない。
さらにインスブルックで二時間観光などあり、ウィーン出発後、十時間してFeldkirchに到着。
ここの四つ星ホテルを拠点に、ツアーが始まる。
翌日8月4日、午前中市内観光、午後は自由行動。
希望者にはガイドが同行して、さらにコアな観光や、近くの自然公園を散策。
夕方五時半、バスに集合してブレゲンツへ。
Feldkirch からブレゲンツは、40キロ、30分ほど。
駅前のバス専用駐車場に一番乗り。
オペラ終演後、またここから宿に戻るわけだが。
オペラ開演は21時なのに、三時間も、どうしろと。
1946年から始まったブレゲンツ音楽祭は、七月から八月の会期中、20万人を集める、ヨーロッパ有数の音楽祭だが、
ブレゲンツ自体は、極めて普通の町だ。
しかも、土曜日の夕方とあっては、店は全て閉まり、美術館も閉館。
音楽祭会場内を歩き回るのも、いささか気が向かない。
格好の場所に、ギリシャ/トルコ料理屋があったので、歩道に出されたテーブルで、時間つぶしする。
ヨーロッパで、かなりこってり料理に疲れたら、トルコ、ギリシャ料理屋で、ひたすら野菜を補給するのが良いかも知れない。
ブレゲンツ音楽祭のメイン会場は、ボーデン湖 Bodensee (ドイツ、オーストリア、スイス国境。アルプス地方では、レマン湖に続く広さ540平方km ) 岸に作られた舞台、7000席の Seebuehne。湖の中に、巨大な目(トスカ)や、足(アイーダ)が出現する。
2009年公開の007慰めの報酬のロケ地にもなった。
今回は、ターバンを巻いた男性の胸像と、左手が持つ手紙。
これは、演出のKeith Warner と舞台のDavid Fieldingがインスピレーションを得た " Der Tod des Marat (1793年、入浴中に暗殺されたジャン ポール マラー)" (Jacques-Louis David 1793)より。
開演して、前奏曲の間に、この巨大な頭部を覆う布が取り去られる演出のはずが。
8月4日は、最初から剥き出し。
大変!!演出のミス!!ではなく、
犯人は雷雨。
この日、朝から雲一つない晴天だったのに、入場開始した20時から、一天俄かにかき曇り、地面から跳ね返るほどの雨に加えて、真っ黒な雲を引き裂いて雷が走る。
ブレゲンツ音楽祭の目玉、
オペラ、アンドレ・シェニエは、湖にセットが組まれているのだから、当然、野外。
客席にも舞台にも、屋根など無い。
ちょっとの雨なら、観客はフード付きレインコートで、大量のてるてる坊主になる。
観客同士の視界を遮らないよう、また、傘の雫で濡らし合わないように、傘の使用を禁止している野外音楽祭会場もある。
舞台でも、透明なレインコートにくるまって、頑張る(頑張らされる)演奏家も、大変だ。
でも、この雨は、そんな範疇ではない。
天気予報なら「非常に激しい雨」の上限な感じ。
野外音楽祭の、こうした天気に対するリスクはつきものだが、最近の異常気象で、さらに予測が難しい。
ブレゲンツは、上演可能な時間などから、かなり細かく払い戻しや、別公演への交換の規定を決めているようだ。
7000席もあるから、当然だが。
開演は21時。
これは、どうなることやら、と、ともかく座れる場所を、見ず知らずの客達同士が分け合う。
ところが、誰も慌てない。
会場側も、慌てない。
私も、慌てたって仕方ないから慌てないが、オーストリアを横断して来て、メインイベントを逃して、ただまた横断するのは、悲しい。
そうしているうちに、21時前に雨がやんだ。
素晴らしい。
そうなってようやく会場側から、アナウンスが入る。
舞台を乾かし次第、開演するので、ご理解を、といたくあっさりしたものだ。
結局、三十分遅れただけで、無事、開演。
入口階段を上がったところで、セットの男性の頭部が、頭上高く聳えているのには、息を呑んだ。
しかも、その向こうの空は、早くも雷雲が切れて、残照が覗いている。
これは、雨を吸うと重くなりすぎるから、と言う理由で撤去された布が無い方が、よほど良いのでは、と思った次第。
悪天候を切り抜けた、妙な一体感に包まれた観客は、この晩のオペラを、三割増しで楽しんだこと、うけあい。
ブレゲンツツアー三日目は、朝9時半、宿から再びブレゲンツへ。
目玉は、湖上のセット案内。
昨日、観客席から見たセットを、中に入って見ることが出来る。
良くこんな発想がわくものだ、と、素直に感心。
ただ、高所恐怖症だと、ここの仕事は出来ない。
その後、市内から近郊にかけて、ゆっくりと観光。
四日目、わずか半時間のドライブでスイスへ。
バスから降りる必要は無かったが、国境で、約15分は停められた。
EU圏内は、パスポートコントロールも無いに等しい状況に慣れていたので、ちょっと、ドキドキ。
何事もなく、Neuhausen のライン滝、11世紀に修道院を中心にした町Schaffhausenを観光後、船で約15キロ離れたStein am Rhein までライン下り。
残念ながら、船に乗った途端、雨が振り出したので、船内から岸を眺めるのみ。
スイス一部分の印象は、オーストリアに比べると、べらぼうに物価が高い‼の一言だった。
帰りの国境は、出て行くものには興味なしとばかりのスルー。
それはそれで、いかがなものか。
五日目は、朝8時半出発、休憩の頻度は往路と変わらず、18時半には無事ウィーン到着。
21時からのウィーン市庁舎の映画祭に行けるくらいには、楽な旅だった。
参考価格
ブレゲンツ音楽祭ツアー (エリートツアー、オーストリア)
www.elitetours.at
四泊五日 515ユーロ
到着日夕食、全日朝食込
オペラチケット 45ユーロから
ライン下り(20ユーロ)などは別料金
2011年ブレゲンツ音楽祭DVD「アンドレア・シェニェ」はキング・インターナショナルから。
来年、再来年のブレゲンツの演目は、モーツァルト「魔笛」
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